くもりときどき ななばあば

将来の自立のために、今私に何かできることがあるかな

徒然なるばば2 2020年6月

(前回の続き)

中途半端じゃなく、始めるならちゃんと英語学習したい。不退転の決意とともに、本当に大変かもしれない、とよぎる不安。

 

 

というときに、電話が鳴った。

  

引越

"家が見つかりました。見学日時を決めてください。断ることもできますが、次にいつご紹介できるかは保証できません。"

 


え、こんな時に連絡が来た。私たち親子が生活できる部屋を公的機関が探してくれていたのだった。遡れば5月に電話相談してインタビューを受け、書類を記入していたのだった。


10年以上前に下宿していたエリア、現状どうなってるか知らなかったがとりあえず希望エリアの一つに挙げていたのだが、家を見つけてもらうのには時間がかかるだろうと、ダメ元でシティに近いエリアに、早いうちに変更しておかなきゃな、と思っていたエリアだった。


家はペンキ塗りたてでカーペット洗浄したてだった。2ベッドルームは私たちに広すぎると思った。本当にここに住まわせてもらってよいのでしょうかという問いに、人数構成から2ベッドルームなのだという。そして今回、緊急性が認められたとのこと。そこを借りることに決めた。自分で引越日時や引越先を決めないというのは、当然初めてだった。


引越は学校が休みの日に友人に車を出してもらったり、UVERタクシーを使ったりして(スーツケースだけでなく、段ボール箱や物干し竿を運ぶときに"原則、引越には使わないでください"と指摘されたが、なんとかお願いした。)どうにか何とか完了した。それが8月初旬だった。

 

冬の新生活
ニュージーランドで8月というのは、日本で2月初旬、ちょうど立春あたりで木々は芽吹き始めてるがまだまだ寒い時期である。

それまで窓が外に面していない部屋を借りていた時には、小さなヒーターだけですぐに室内が暖まった。 

引越先では窓や壁が外に面して(通常はそうだが)いて、天井と床のインスレーション(断熱工事)も当初なされてなかった。

寝具といえば当時エアベッドで、エアベッド内の空気が冷えると身体が芯から冷えて、1週間も我慢することができなかった。その後、衣料品などを入れるプラスチックの箱を並べてその上にヨガマットを敷いて、そこでしばらく寝た。寝返り出来ない状態が2週間ほど続いた。次にカーペットの上に直にヨガマットを敷いて寝た。寝返りができるようにはなったが、朝晩の冷え込みを直接受けた。


引越後、寒さの他に大変なことは、家の中はキッチン以外ペンキ系の臭いが常にしていて、敏感な鼻からは止めどなく鼻水が、目からは涙が出た。なけなしのお金で日本から臭気測定器を買った。壁のペンキはすぐに乾いてるに違いない、カーペットから臭いがしていると思い、臭い吸着のためベーキングソーダやら重曹をまき散らしてみた。寒いが一日中窓を開けっぱなしでないと居られなかった。なんでこの冬の時期に、底冷えがしてペンキの臭いがずっと漂っている家に引越しなくちゃならなかったのか、真面目にマスコミを呼んで取り上げてもらおうかなと思ったぐらいだった。


こういう、言ってしまえばありがた迷惑な状況下で、身体を休めるにはどうすればいいだろう。

キッチン脇の子どものおもちゃを置いている一角に目が止まった。料理した後のわずかな余熱が利用できる。日本から10箱以上、船便でこちらに送りつけた(皆が呆れたが、当時はそれが一番安い海外引越だった。)中に100均で買った組み合わせマットや銀色の断熱シートがあり、ともに底冷えを解消するのに役立った。壁にも断熱シートを貼り、だいぶ居心地のいい寝床が出来上がった。

 

何かの気配
キッチン脇で寝るようになると、それまで認識していなかったことに気付いた。何かが外に居る。

何かとは、深夜にけたたましく鳴く動物のようだった。猫ではきっとない。

それまで聞いたことのない、ギャーギャーいうわめき声が気になった。学校の宿題で遅くまで起きていると、その大音量の鳴き声が事態の深刻さを物語っているのか?猫が何か獲物を捕らえてるのか??念のため外の電気をつけておく日々が何日か続いた。

 

いつだったか土日のいずれの日かの昼間、見たことのない動物が裏の空き地に居た。 

 

 

黒っぽい鳥。顔のあたりやクチバシは赤く、胴は黒と青、尻尾は白がアクセントカラー。

といった全体の色味でググった。

"ニュージーランド 鳥 黒青 くちばし赤"

(次回に続く→徒然なるばば3)