3月11日に思うこと
今日は3月11日、あれから9年経つんですね。
地震の瞬間、震源地から離れてはいても、何か今まで経験したことのないようなことが起きているという直感が足をすくませ、どうすればいいのかわからないというあの状況は、今も容易に思い出せるかというと、せわしない日常生活もあり、やはり時間が経つにつれ少し薄まってきた感じがします。
今は新型コロナ肺炎という解明されるまでに時間がかかりそうなものを相手に、日本だけでなく他の国々も揺れ動いています。
昨年受講した英語学校で、他の国の出身の人たちからは、"地震や津波、そのほか大雨の水害や火山の噴火などの自然災害を、日本の人たちはどうやって克服してきたの?”と興味をもって聞かれても、それまで考えたことがなかった私、”昔から自然災害が起きていたからそれに備えることができた”としか答えられなかったです。
そういう日本であっても、”忘れた頃に”起きたり、”想定外”のこと、"未解明”のことに対しては、非常に不安を感じる。仕方のないことだと思います。
現在は地球温暖化が引き起こす異常気象で、ゲリラ豪雨や台風の巨大化、海面上昇や大規模な山火事なども世界的な不安要素と言えるのでしょう。ことによっては国境を越えた問題になりえます。自然を相手に私たちは受け身にならざるをえません。しかし奇しくも今私たちは否が応でもデジタル社会に身を置いていて、簡単に国境を越えたやりとりができるし、ひと昔前は他の国で起こったことが何日か経って新聞に載るような時代でしたが、今はいろんな国の事柄をインターネットで瞬時に目にすることができます。
今、いろいろな場所の知識を世界全体で融合することができる環境にあると思います。今それが試されている状況な気がしてしまいます。そして記録して共有することで記憶の代わりになり、自然災害などに対する教訓が薄れずに更なる解決策を蓄積することができるのではないか、世界全体の知識の融合が世界規模の窮地を救うのではないか、そして私たちの不安も多少取り除かれるのではないかと思いました。